桜町子良

  子良

 桜 町 子 良 (さくらまちこら)  

  天門庵主宰 霊符師 超視師 透視師

    幼少より徒党を組むことを嫌い、
    単独行動を旨としながら
    常に挑戦的意識を携えつつ奔放に動いてきましたが、
    永年経過した今もなお、
    黙して無尽の道程を闊歩し続けております。

    人様からは、
    安穏そうで人畜無害と思われているようですが、
    本当は、鼻っ柱の強いただの爺(じじい)であります。

  戒名 天門庵昴舟子良居士 (てんもんあんぼうしゅうこらこじ) 


役 目 と し て 与 え ら れ た 霊 力   

 子良が有する霊力は、過去世の一部と繋がりをもつ生来のものです。天上界から人間界に降りるときに役目として与えられたもので、個人のものではありません。

 自分の力ではないということです。ですから「能力」でもありません。敢えて言えば、天啓による「霊力の行使」です。

 人間界の外側の現象ですから、言葉上での理解は不可能です。霊力は、煩悩を排除した時に具現化するものですから、凄まじい体力を要します。

 「霊力の行使」は、『内観』と『超視』と『深層超視』の3種があります。現在の別庵では、『内観』を終了して『超視』のみを行っています。

 一方向から読み解く『内観』と三方向から複合的に読み解く『超視』は、全くレベルの異なる「霊力の行使」で、時として行使者に過大(危険)な負担が生じます。

 『深層超視』の視点は、五方向以上の複合読解です。非常に高度な「霊力の行使」で、霊域が4レベル以上の行使者に特化する霊的技法です。別庵外で行っています。
 

葛 藤 の 日 々…

 恵まれた環境に生まれたものの、周囲とは異なった感覚を有していたことから、門外漢としての誹りは免れませんでした。幼少期は、不憫な思いの連続でした。

 頼れるのは自分だけでしたから、生来の負けず嫌いが粗暴な別の自分を演じさせるようになり、少年期は、艱難辛苦のいばらの道でした。葛藤のはじまりです。

 人が見えないものを見る、聞こえない声を聞くという奇異な現象は、成長とともに明確になり、頭の中は常に酷く混乱していました。苦痛の一語でした。

 中学2年の夏、毎日天から降ってくる声(天啓)により「霊力の行使」を指示され、役目であることを告知されました。この日から天啓に誘導される苦悩が加わりました。

 天啓に従順で素直な自分がいる一方、現実を覚めた目で曲解する自分が同時に存在し、20代半ばまでは不可解な道化師を演じる破目に陥っていました。

 挫折した佛師、欺かれた研究者、そして、襤褸切れの様に捨てられた愚か者。失うものばかりで現実は、ドロドロの地獄界をのたうち回るだけでした。

 導かれるままに路傍で石符を刻み、語り、修行を続けてきました。葛藤から離れた今、すべての無縁佛さんの供養のみに目を向けております。 (2010.09.15)


『ひとつの魂』と『28人のわたし』

 転生は、言うまでもなく生まれ変わりのことです。そんなことはあるもんかと懐疑的に思いつつも、誰もがもしかしたら…と頭の中に想像を描くものです。

 名前も性別も時代も違いますが小生の魂は、28人の姿に転生しています。性格も能力も生活環境も違いますが、多彩な人間を生き抜いてきました。

 人間という衣には寿命があります。役目を終えた衣は、朽ち果て土に還ります。一方、天上界に昇った魂は、時を経て再び娑婆(人間界)に降り、新たな人間の衣を纏います。

 転生を繰り返すことで魂の深部には、膨大な残像(人間でいう記憶)が蓄積保存されます。この残像が現世の人生に多大な影響を及ぼします。

超視する子良・拡大

 人間は、誰もが過去の自分の行動の裏返しを生きています。善くも悪くも自分に起因することですから、理由に関わらず背を向けることは許されません。

 小生の眼は、空間の中に人間の残像を見出します。時空を超えて、直視します。霊力を行使して読み解きます。そして、56の眼があなたの内側を語ります。

 画像は、取材中の撮影者に向かって超視する小生です。こんな眼をするのですか…。
  

伝 え る べ き こ と

 「一生懸命(一所懸命)生きてください…」と言いたいです。頑張れとか必死になれとか集中しろなどという意味ではありません。言葉だけのお題目などは何にもなりません。

 総ての人間は、例外なく一生懸命生きるようにできています。しかし、一方では、例外なく一生懸命生きないように指図されています。それが煩悩という大変厄介な代物です。

 誰もが自分の弱さやだらしなさや勝手さなどを知っています。けれどもいつも見て見ぬふりをする。自分には、とことん甘い。誘導霊が掻き回して煩悩の炎に油を注ぐ…。

 真面目な人ほど誘惑の罠に落ちるのです。そして、遂には一生懸命の振りを演じることになり、嘘の塊ができあがります。あなたもその一人かも知れません…。

 いや、失礼ですが間違いなく、あなたも嘘の塊になっています。そう言われてみると、正直な方はそんな気がするはずです…。嘘つきは、一生懸命には生きられません…。

 木偶の坊のようにいつもしねぐねしながら、もぞもぞと生きるしかありません…。随分酷いことを言うように思われるでしょうが、それが人間の本性なのであります。

 『煩悩』という奴は、とんでもない化け物です。闘っても勝てる相手ではありませんが、負けないために知恵を働かせるべきです。負けない方法に気づけばいいのですよ…。

 難しいことではありません。言葉に出して繰り返し本気で『懺悔』するだけの単純なことです。しかし、簡単ではありません…。「どうぞ、一生懸命生きてください…」
 

伝 え る べ き こ と 2

 生きるものには、例外なく魂が存在します。また、山や海や石や建物などにも魂が宿ります。それから、日常の生活の中で使用する眼鏡やペンや靴などにも、魂が同化します。

 この魂の「存在」「宿り」「同化」に気づくことはめったにないですが、時として誰もが明確に認識させられることがあります。五感を通して奇異な現象として知らされます。

 一般的には、「心霊現象」や「幽霊」などと言われ、恐怖感を煽ることが多いようですが、純粋な感覚で受止めるならばそれほど怖いものではありません。

 「虫の知らせ…」という言葉があります。感知できないはずの何かを受取ることです。人間の中の魂同士が通じている証ですが、いつも通じている訳ではありません。

 赤ちゃんや活発な心身の方が住む家は、生きいきとして見えます。 意気消沈した方が住む家は、停滞した重さが見えます。人の住まない家は、すぐに朽ち果ててしまいます。

 昔から人が亡くなると遺品を「形見」として縁者に渡す習慣があります。 姿かたちがなくなっても、故人の魂が「形見」に映っているという純粋な伝承感覚です。

 人の魂は、人の死と同時にからだから離れます。この時、魂が死を認識しなければ成佛しません。弔いは、死を認識させるための極めて重要な儀式です。

 成佛しなければ人間界に浮遊することになります。浮遊霊となった魂は、他人に憑依して苦しめます。そして、命を奪います。最近の人間界は、浮遊霊で充満しています。


 

昭和記念公園の桜・拡大

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